大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和44年(ワ)533号 判決

原告 田中忠夫

右訴訟代理人弁護士 小林伴培

被告 八千代市

右代表者市長 仲村和平

右訴訟代理人弁護士 渡辺隆

主文

一、被告は原告に対し五、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四四年一〇月九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決の主文一項は仮に執行できる。

事実

第一、申立て

(原告)

主文同旨。

(被告)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、請求の原因

一、原告は、昭和四一年一〇月一九日、訴外岩城房子(以下訴外人につきすべて訴外を省く)から、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)を代金五、〇〇〇、〇〇〇円で買い受け、同年同月二〇日東京法務局江戸川出張所受付第三九、七七三号をもって所有権移転登記を経由した。

二、ところが昭和四二年二月、北嶋信二から、原告に対し、本件土地所有権確認等請求事件が東京地方裁判所に提起された(同庁同年(ワ)第一、六七四号事件)。

その主張の要旨は、次のとおりである。

(1)  本件土地は北嶋信二の父北嶋蔵吉が昭和一八年六月一七日船堀町耕地整理組合の換地処分により所有権を取得し、同人が同二〇年三月一〇日死亡したので、北嶋信二が同日家督相続により所有権を取得した。

(2)  北嶋蔵吉および北嶋信二は本件土地につき所有権保存登記を行わないでおいたところ、森田安が北島蔵吉なる架空の人物をデッチ上げて、昭和三九年一一月五日東京法務局江戸川出張所受付第三一四二六号をもって所有権保存の登記をし、これを稲葉五郎に売り渡したものとして同出張所同年同月一一日受付第三二一一九号をもって同人のため所有権移転登記をした。その後数人に所有権移転登記がなされ、現在原告のため所有権移転登記がなされているけれども、右のとおり北島蔵吉の所有権保存登記および稲葉五郎への所有権移転登記は、いずれも真正な所有者の意思に基づくものでないから、稲葉五郎は勿論その後の登記名義人は、いずれも本件土地について所有権を取得せず、登記も実体上の権利に符合しない無効のものである。

三、しかして右森田安らのした北島蔵吉名義の本件土地所有権保存登記および右北島蔵吉名義から稲葉五郎への前記所有権移転登記は、いずれも、森田安が

(1)  全く実在しない北島蔵吉を森田安方に同居している如く住民登録の申請をして、住民票の交付を受け

(2)  全く実在しない北島蔵吉の印鑑登録の申請をして、印鑑証明書の交付を受け、

右(1)の住民票を保存登記に、右(2)の印鑑証明書を所有権移転登記に、それぞれ利用してなした虚偽の登記である。

四、1 右住民登録、印鑑登録、印鑑証明書交付は、いずれも、昭和三九年一一月五日に、被告(当時、八千代町)役場においてなされ、いずれもその申請は、森田安によってなされている。

2 しかも住民登録によると、本籍も、戸籍の筆頭者も不明で、転出証明の添付もなく、届出がなされている。

3 森田安の作り上げた北島蔵吉は、明治四一年八月七日生れというのであったから、昭和三九年一一月当時は満五六歳であった。

五、1 住民登録もさることながら、印鑑証明は、権利の得喪変更に利用され、本人であるかどうか、本人の意思に基づく行為であるかどうかを識別するために我国では重大な意味をもつ書面であって、登記上、権利の設定移転に必要とされている。

2 従って、この登録、認証を取り扱う行政機関としては、その取り扱いに慎重な注意を払わなければならないことは当然である。

3 しかも本件においては、桑田安が、北島蔵吉の住民登録をし、同日北島蔵吉の印鑑登録の代理申請をし、即日北島蔵吉の印鑑証明書の交付を申請し、北島の印鑑を所持しているのであるから、右機関としては、北島蔵吉本人の実在するか否か、実在するとしたらこれと申請人が同一人か否か、申請が本人の意思に基づいているか否かを、一層の注意を払って確認しなければならなかった。

六、ところが、当時の被告(八千代町)の町役場の担当吏員であった都築正子は、森田安が同女の近くに居住し、森田安を知っていたところから、森田安が「北島蔵吉は、身寄りのない老人で、自分が面倒を見ている」と言う言葉を軽信し、

1  転出証明もなく、通常人(五六歳では老人と言えない)であれば記憶しているはずの本籍や戸籍の筆頭者が不明であることの異常さにも何ら注意を払わず、「権利証みたいな書類」で確認し、誤った住所の記載につき質問もせず自分で訂正して住民登録の届出を受理し、

2  印鑑証明書交付申請委任状が森田安の自筆であることを承知していながら、敢えて、かつ印鑑条例に違反し、代理人を保証人としてした印鑑登録の申請を受理し、これに基づき印鑑証明書を交付した過失がある。

3  本件印鑑証明書の発行について被告の係員都築正子に過失のあったことは、次の点で明白である。

(一) 乙一号証の一の八千代市印鑑条例三条二号には「印鑑登録申請書に保証人一人の署名捺印がなければならない」とあり、四号には、「代理人は、保証人となることはできない」と定めている。

(二) 都築正子が印鑑登録して印鑑証明書を交付したのは同じ時間であり、印鑑証明書交付申請委任状も提出されている。

(三) 森田安が住民登録もし、印鑑登録もし、印鑑証明書交付申請もしている。

(四) 北島なる人物が来たという都築正子の証言は、甲二号証の一二、二一、一八、一九に照らし、うそであり、町役場には江口と森田の二人が行ったが、森田安だけが中に入り、江口は外で待っていて、森田安が役場から出て来て委任状を要求したので書いてやったものである。

(五) かりに北島蔵吉本人と称する者が来たとしても、印鑑登録と印鑑証明書交付申請も同時になされているのであるから、前記条例の趣旨からすると、本来森田安は印鑑登録の保証人となることができない人間であるのに、保証人としてこれを受理した都築正子の行為は明らかに条例の趣旨に違反する脱法行為であって、都築正子の過失は明らかである。

甲二号証の五によると、森田安が北島蔵吉名の印鑑証明書二通交付の件と言う委任状を添えて、北島蔵吉の印鑑証明書を二通くれと言うので、都築正子はその時一緒にさし出された北島の印を役場備付の印鑑交付簿にその北島の印を押して二通の印鑑証明書を作成して二個の割印をとって一一月五日付第四〇六四番で八千代町長名の北島蔵吉の印鑑証明書を交付したというのである。

また同号証の五によると、北島蔵吉の印鑑証明書の不動文字を除いてペンで北島蔵吉や森田安と書いてあるのは全部森田安が書いたものであると都築正子が述べている。

都築正子は、「本人が来ていれば印鑑証明の交付申請は本人にさせるべきではないか」との質問には黙して答えない。

「北島蔵吉本人であることを確認したか」との質問に対しては、「しません、保証人の森田安がこの人が本人というので信じた」と答えている。これでは何のために本人がわざわざ来たのか判らない。ただ形式的に森田安以外の者が来たというに過ぎない。

住民登録の際の確認方法も、同号証の五によると、都築正子は「私のところにその権利証みたいな書類を提出したので、私は間違いないものと思って受付した」というのであり、当時、保存登記前であるから、権利証があるはずがなく、その書類の性質を認識していない。

自ら判断できない事柄であれば、上司の判断を仰ぐべきであるにもかかわらず、そうせず、誤った住所を記載している理由を質問もせず、わざわざ自分で訂正している。

以上の次第で、都築正子は、印鑑条例に違反しているのであるから重大な過失がある。森田安は、住所も生年月日もでたらめに書いた。都築正子は、森田安が顔見知りであるから、森田安の言うことを無条件に信用したのであって(森田安も江口に対し都築正子は顔見知りだから頼んでみると言っている)、公務員として住民登録、印鑑証明等の業務を執行するにあたって当然とるべき手続も、又注意も払わなかったのであるから、都築正子の過失は、疑いを容れない。

七、しかして、住民登録に際しての、被告(当時八千代町)の担当吏員の過失、この点に過失がないとしても、印鑑登録並びに印鑑証明書の交付に過失があったため北島蔵吉名義をもってする本件土地の所有権保存登記および稲葉五郎に対する所有権移転登記がなされたのであり、原告は、これに基因して五、〇〇〇、〇〇〇円の損害を蒙ったのであるから、被告(当時八千代町)の役場の担当吏員の過失と原告の損害との間には、相当因果関係がある。

八、前記印鑑証明書の交付も国家賠償法一条に言うところの公権力の行使に該当するから、被告は、同法条に基づき原告の前記損害を賠償する義務がある。

九、よって原告は被告に対し右損害金五、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状副本送達の翌日である昭和四四年一〇月九日より支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、答弁

一、請求原因一の事実は不知。

二、同二の事実は不知。

三、同三の事実は不知。

四、同四の1のうち各申請がいずれも森田安によってなされたことを否認しその余の事実を認める。同四の2、3の事実を認める。

五、同五の1、2を争う。同五の3のうち印鑑登録が代理申請であったことを否認する。森田安は北島蔵吉なる人物を同行して来たものである。印鑑証明交付申請は、森田安が代理してなし、交付を受けたものであることを認める。その余を争う。

六、同六の1のうち都築正子が何ら注意を払わなかったことを否認する。

(イ)、昭和三九年当時の根拠法である住民登録法一九条一項によると、世帯主が第一順位の届出義務者とされており、世帯主である森田安が使用人である同居人北島蔵吉の住民登録の申告義務者であった。

(ロ)、本籍不明者の届出の受理については同法四条五号但書により、本籍の明らかでない者についてはその旨記載するものとされており、戸籍の表示の分明でないときは本籍欄に不明と記入するよう住民登録事務処理要領によって指導されていた。

(ハ)、「転出証明書の提示がない限り絶対に転入届を受理しないというのは妥当な取扱いでないこというまでもない」とする通達(昭和三七年一一月二九日民甲第三四三二号)があった。

(ニ)、調査義務はなく(同法三〇条)、事実を疑うに足りる相当な理由の有無は担当係員の主観的な判断に任されていた。

同六の2を争う。

(イ)、印鑑登録の手続については、当時施行されていた印鑑条例(乙第一号証の一)三条によれば、原則として本人自ら申請し、印鑑登録申請書に保証人一人の署名押印を要するものとされていた。

ところで本件は、森田安が、住民登録申請手続をとり、住民票抄本の交付申請をして帰ったのち、印鑑証明書交付申請委任状を提出して印鑑証明書の交付を申請したが、同委任状には交付の前提となる印鑑登録申請の委任の記載がなかった。

しかも登録手続は原則として本人によって申請さるべきところから都築正子は、森田安に対し、北島蔵吉本人を同行すべきことを求め、これに対し、森田安が間もなく北島蔵吉なる人物を同行して出頭したため、北島蔵吉の印鑑登録申請書を受理するに至った。その際本人か否かの確認は、昭和四七年四月一日改正による現行印鑑条例においては運転免許証等による確認が義務づけられているけれども、本件(昭和三九年一一月五日)当時の条例には、右のような規定はなく、使用主であり、かつ保証人である森田安とともに現に北島蔵吉なる人物が窓口に出頭したことにより、同人を北島蔵吉と誤信したことについて都築正子に特段に責められるべき重大な過失はないといわなければならない。

(ロ)、次に印鑑証明書交付の手続については、前項により、本人の出頭を求めて印鑑登録の意思を確認し、かつ印鑑条例一一条により委任状による交付申請の代理が認められるところから、森田安に対し同証明書を交付したが、右の代理委任状には、登録申請の代理を規定する同条例三条とは異なり、代理を必要とする理由を証する書類の添付は必要とされていない。

従って委任状による交付自体について都築正子の処置を非難することはできない。この点に関する原告代理人の都築正子証人に対する尋問には、印鑑登録手続と、印鑑証明書交付申請手続との混乱があるように思われる。

なお北島蔵吉なる者本人の出頭の有無に際し、原告は、証拠として提出された刑事事件調書にその旨の明確な記載がないことを問題にするけれども、森田安の刑事手続においては起訴状(甲二号証の二)、および判決(乙八号証)に明らかなとおりそもそも印鑑登録の点については刑事事件の対象ではなく、従って直接これを問題とする取調べはなく、恰も印鑑証明書交付申請の場合と同一に取扱われているため登録手続自体に対する充分な取調べはなされていない(甲二号証の五)ので、右をもって北島蔵吉なる人物の出頭を否定することはできない。

七、1 同七のうち過失の存在を前記のとおり否認する。

2 同七のうち五、〇〇〇、〇〇〇円の損害の発生を否認する。

(イ)、本件土地は、単に原告が所有名義人であったに過ぎず、原告には所有の意思も、所有したこともなかった。

甲四号証によれば、買主として原告が表示されその旨の登記簿上の表示のあることは事実であるが、金子哲章の証言によれば、本件物件は、岩城房子に対する金融の担保としてとったものであり、実際の貸主は中村某であって、原告が五、〇〇〇、〇〇〇円を出捐した事実はなく、単に原告は、右の取引を仲介したに過ぎない。このことは、同証言のとおり金子哲章が仲介手数料として五分に相当する二五〇、〇〇〇円をとり、原告と半分づつ分け、原告が岩城房子との取引に関して一二五、〇〇〇円を取得したことから明らかである。

(ロ)、かりに岩城房子に対する五、〇〇〇、〇〇〇円の貸金について原告が当事者であり、原告の計算において出捐したものとしても、原告が五、〇〇〇、〇〇〇円の融資に対し月四分の利息と、五分の仲介料(但し金子哲章と折半)とを本件土地に関し取得している以上、右取得金(二箇月分利息四〇〇、〇〇〇円および仲介手数料の一二五、〇〇〇円)五二五、〇〇〇円は、当然損害から控除されなければならない。

(ハ)、更に、かりに原告が本件土地に関連してなにがしかの損害を蒙ったとしても、右の損害は、まず岩城房子に対し訴求さるべきものであり、岩城房子に対する損害の回収が不能であることが確定しないかぎり、まだ原告の損害は確定しないというべきである。

3 同七のうち相当因果関係の存在を否認する。

八、同八の主張を争う。

第四、証拠≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によると、請求原因一の事実を認めることができる。

二、≪証拠省略≫によると、請求原因二の事実を認めることができる。

三、≪証拠省略≫を総合すると、請求原因二の(1)、(2)の事実、同三、四の各事実、同六の1、2、3の(一)ないし(三)の事実および次の事実を認めることができる。

森田安は、江口寛、遠藤長松、稲葉五郎こと糸岐茂徳らと共謀し、本件土地が北嶋蔵吉の所有に属しているものの長年にわたり未登記であるのを奇貨として、これを処分して利得を得ようと企て、

(1)  (住民登録)

森田安は、先ず北島蔵吉なる者が東京都江戸川区から千葉県千葉郡八千代町(現在八千代市)大和田七六番地森田安方に転入し、森田安方に被用者として居住している旨の虚構の事実を設定し、これに基づいて、昭和三九年一一月五日、当時の八千代町役場において八千代町長の補助機関として住民登録、印鑑登録、印鑑証明書等の事務を取扱っていた担当吏員都築正子に対し、八千代町長宛の届出人森田安、異動事由昭和三〇年一〇月一五日転入、旧住所東京都江戸川区平井四―四五二、新住所千葉郡八千代町大和田七六、世帯主森田安、氏名北島蔵吉、明治四一年八月七日生、世帯主との続柄使用人、本籍不明、筆頭者森田安と記載した住民異動届を提出し、本件土地の土地台帳謄本を呈示した。

都築正子は、右土地台帳謄本を見て、確かめもしないで、旧住所の右記載を東京都江戸川区東船堀一三三一に、筆頭者の記載を一旦「北島蔵吉」に、次いで、「不明」に、訂正し、右届出を受理し、森田安を世帯主とする住民票原本に記載して、住民登録手続をした。

(2)  (印鑑登録および印鑑証明書交付)

森田安は、都築正子に住民票抄本の交付を申請して帰り、約二〇分後に再び都築正子に対し、北島蔵吉名義を冒用して偽造したところの、北島蔵吉が森田安に対し印鑑証明書二通交付の件につき代理権限を与えた旨記載した委任状一通を提出し、印鑑証明の交付を求めた。

都築正子は、右委任状を預っておき、森田安に対し、印鑑登録申請書用紙を交付した。

森田安は、八千代町長宛の右印鑑登録申請書用紙に北島蔵吉名義を冒用して申請部分を記載し、北島と刻した印章を押捺して偽造し、かつ「右は本人の申請であることを証明します」と印刷した保証人部分に森田安が自ら署名押印して、右申請書を作成し、これを都築正子に提出した。

都築正子は、これに基づき印鑑登録をした上、印鑑証明書を交付した。

(3)  同日、森田安、江口寛、糸岐茂徳らは、東京都江戸川区東小松川二丁目四、二一六番地司法書士池田正敏方において、本件土地をふくむ土地の所有権保存登記手続に必要な北島蔵吉名義の書類を作成させ、糸岐茂徳は本件土地をふくむ土地の地目変更登記手続に必要な北島蔵吉名義の書類を作成し、森田安および江口寛がこれらの書類をもってそれぞれ東京法務局江戸川出張所同三九年一一月五日受付第三一、四二六号をもって北島蔵吉名義の所有権保存登記手続、同年同月六日付をもって地目変更登記手続を経由し、糸岐茂徳は、前記北島と刻した印章および北島蔵吉名義の印鑑証明書を利用して同年同月六日付売買を原因とする北島蔵吉から稲葉五郎への所有権移転登記手続に必要な書類を池田正敏に作成させ、同出張所同年同月一一日受付第三二、一一九号をもってその旨所有権移転登記を経由した。右稲葉五郎名義は糸岐茂徳が無断でその義兄の名義を使用したものである。その後糸岐茂徳は右土地を四筆に分筆し、そのうち本件土地について和孝商事株式会社を経て転々と数人の間に売買を原因とする所有権移転登記手続が経由され、同四一年一〇月二〇日に岩城房子より同年同月一九日付売買を原因とする同出張所受付第三九、七七三号をもって原告名義に移転登記がなされた。しかし、右所有権の移転は、北嶋蔵吉および北嶋信二(通称として、いずれも北島という名を使用していた)の意思に基づかず、全く無断でなされたものであったため、請求原因二の訴訟において原告は勝訴の見込は全くなく、現に同四五年一〇月一六日敗訴の判決を受けている。

証人都築正子の証言中右認定に反し、印鑑登録申請の段階で北島なる人物が来た旨の供述部分は、≪証拠省略≫に照らして措信しがたく、また仮に右供述部分のとおりであったとしても、右証言によると、都築正子は北島なる人物と話もしておらず、森田安がその後にいる人を本人だというので確認もせず右森田安の言葉を信じたというに過ぎないから、依然として森田安が代理人として印鑑登録の申請をしているのであって、本人が印鑑登録の申請をしたと認めることはできない。

四、印鑑証明書は、印鑑自体の同一性を証明するとともに、取引行為者の同一性および取引行為が行為者の意思に基づくものであることを確認する資料として、契約の締結、不動産の登記申請、公正証書作成嘱託等の場合にこれが要求され、私人の取引の上で極めて重要な機能を営むものであること公知の事実であるから、市町村の吏員が印鑑登録および証明事務を取扱う場合には、いやしくし死亡者の印鑑登録をなしその印鑑証明書を発行するような過誤を犯さないように充分慎重な考慮を払って右事務を処理すべき職務上の注意義務がある。

しかるに本件においては、森田安が同一日中にさして時間をおかずに北島蔵吉の住民登録、印鑑登録および印鑑証明書交付の各申請をなし、右北島蔵吉なる者が本籍も戸籍の筆頭者も不明で転出証明書すらなかったのに、都築正子は、印鑑条例に違反して保証人が代理して申請した印鑑登録を受理したこと前認定のとおりであるから、当時の八千代町役場の吏員であって印鑑証明事務を担当する都築正子には、従って同女を補助機関とする当時の八千代町長には、その職務を行うについての過失があったものといわなければならない。

印鑑証明事務は、公証行為の一種に属し、地方公共団体の権力作用なる行政行為であって、国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたるから、被告(当時八千代町)の吏員が印鑑証明事務を行うについて前記の過失があり、その結果違法に原告に損害を与えたとしたならば、被告は、これに対して賠償すべき責任がある。

五、印鑑証明書が私人の取引の上で極めて重要な作用を営んでいること前述のとおりであるから、一たび虚偽の印鑑登録がなされその印鑑証明書が交付されると、不動産の取引に関する不正行為の発生は容易となりこのため何らかの被害が生ずるであろうことは充分に予想される。前認定のとおり原告が北嶋信二から提起された訴えに敗訴したのは、≪証拠省略≫によると本件印鑑証明書が虚偽のものであったこと、これにより北嶋蔵吉の意思に基づかず本件土地の保存登記、移転登記がなされたことに基因することが明らかであるから、原告が本件土地を所有できなくなって受けた代金相当の損害は本件印鑑登録および印鑑証明書交付と相当因果関係があると解するのが相当である。

六、被告が答弁七の2において主張している点について、

(イ)、≪証拠省略≫によると、原告と岩城房子との間の本件土地売買契約には一箇月内に買戻しできる旨の特約の存したことが認められるけれども、その期間はすでに経過していたことが認められ、また原告は現実に登記所において岩城房子に代金五、〇〇〇、〇〇〇円を交付していることが認められ、さらに金主は中村某であるけれども、それは原告が中村某から借りているに過ぎなく、手数料は中村某が、金融の仲介手数料として、金子哲章に渡したものを金子哲章が原告と折半したのであることが認められるのであって、これによって原告と岩城房子との間の本件土地売買契約の成立を左右することはできない。

(ロ)、右証拠によれば、原告が岩城房子から一箇月分の利息二〇〇、〇〇〇円を受領しており、中村某から金融手数料として代金の五分を折半した一二五、〇〇〇円を取得していることが認められる。しかし被告と森田安らとの共同不法行為によって原告の蒙った損害は原告が岩城房子に現実に交付した(本件印鑑証明がなかったならば交付しなかったはずであるところの)本件土地買受代金五、〇〇〇、〇〇〇円であり、これが実質的に貸金であるとしても回収できなくなった元本五、〇〇〇、〇〇〇円が損害となるものであって、その金銭消費貸借に関し、交付した元本から発生した約定利息や、中村某から得た金融手数料を当然に右損害から控除すべき理由は存しないものと解される。

(ハ)、≪証拠省略≫によれば、原告の岩城房子に対する債務不履行による損害賠償金の回収は不能であることが認められる。

七、本件訴状副本が被告に送達された日が、右共同不法行為後の昭和四四年一〇月八日であることは記録上明らかである。

八、以上の理由により本訴請求は正当と認められるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 木村輝武)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例